隠密薬剤師書置

日陰に咲く隠密薬剤師の留守居録

陥落。(チラシの裏に書く話)

7月某日、話題のアレに罹りました。


職場で再びクラスターが発生して、今回は自分が主に業務を行っている方の療養棟が初発だったので、飛び火するのは時間の問題だと思っていたのですが、まさかこんなに早く自分が罹るとは思っていなかった。


検査にも間違いがあるとか、何もないものを拾って陽性にしている、などと仰る方が時々ありますが、抗原定性やPCRと違い「抗原定量」は具体的な数値が出てきますので、誤魔化しようがないですね。
クロです。


感染源はたぶんこれというのはわかっていて、発症前ノーマスク患者と近距離で一定時間接触したこと。その人と近距離接触した職員が、その人の発症直後から相次いで発症したので、後日職務上感染と認定され、欠勤も有給休暇とは別の特別休暇として処理されました。
発症前から感染力がある、というのを実感しました。


この感染症は、無症状から死に至る人まで、症状の触れ幅が激しいので「私の場合は~」的な体験談や経過記録を出してしまうと、それを読む人の元の考え方や周辺環境によって情報が切り取られて、更に恐がらせてしまったり、逆に軽くみられたりして、意図するものとは違う解釈をされる可能性があるので、それは敢えてやりません。
(残念ながら、無症状ではありませんでした)


「民でできることは民で」がモットーの自治体住民ですので、できるだけ公助に頼らないよう(全く頼らなかったとは言っていない。保健所や地域保健センターの皆様ありがとうございました)、いろんな準備もしましたし、医療関係者の末端にいる者としてそれなりの知識やアイテムも駆使しましたが、何せ相手は感染症、こちらのお気持ちや気合いなどにはお構いなく人間社会の資源や時間を奪っていきます。


拙宅は家族隔離が割とうまくいったので、自分以外の家族は濃厚接触者としての自粛期間を最短で済ませることができましたが、それでも配偶者の職場には欠勤で迷惑をかけ、子供も大学の試験の一部が受けられない(これは申請して追試験を受けさせてもらえることになった)など、それなりに影響がありました。


特に家庭内でいわゆる「主ふ業務」を主に担う属性の者としては、その働きができない、機能しない、そればかりか家族に負担をかけるとなったらこれはもう役立たずを越えて「お荷物」でしかない。


(その上、間の悪いことにこの時期に実母が入院してしまい、そちら方面のお世話も弟や従兄などの親族に丸投げ状態と、二重三重の役立たず…)


職場から戦線離脱することについてはさらに罪悪感満載です。
自分が療養場所内蟄居してウイルスを外に出さない、広げないのが一番の感染対策とはわかっていても「そもそも感染対策委員が感染するとは何事」「ひとり職種なので不在のあいだはその業務がほぼ完全ストップ(必要最低限は一時的に外注等で処理可能だが余分なコストがかかる)」という責任の重さ。


(自分が離脱している期間中に、弊社内思ったほど陽性者が増えなかったのが唯一救われた話)


自分の存在意義を自問自答させられる、割と由々しき事態であります。
「あーあ、これ自分が専業主婦でずっと家にいたのなら、扉1枚隔てたところに陽性者がいるような環境で何時間も作業してウイルス拾ってくることもなかっただろうにな…」と、やってもしょうがないたらればの話になってしまいます。


政治家をはじめとする世間の皆様は「濃厚接触者の自粛期間を短くすればなんとなく、医療従事者の手も確保できて経済活動をはじめ世の中ちゃんと回る」気分でいらっしゃるのかも知れませんが、医療従事者も罹るんですよ。
罹ってしまったら、お気持ちや根性でどうにかなるものではありません。


特に今回のこれは、自分の体感でしかありませんが感染力がハンパない。
弊社でも、それまでは直接陽性者のお世話をする者以外は不織布マスク着用のみだったのをコメディカルN95マスクを使用するよう配布されましたが、自分の場合はその時すでに潜伏期間に入っていたのではないかと思われます。


そして、罹ったら、1日や2日では治らないし社会活動には戻れない。
そしてさらに、初動を誤ると他に感染させて被害を広げるというおまけ付きです。


今盛んに、政治家や経済団体が主体となって「濃厚接触者の待機期間を短縮する」「療養期間を最小限にする」流れが出来つつありますが。


それは良いんですよ。
感染していないことが確実、であれば。


以前「自宅待機なんて退屈でしかないから症状なければ普段どおり活動させろ」という趣旨の発言をされた政治家さんがいらっしゃいましたが、発症前から感染力のある感染症でそれ言います?と真顔になったことがありましてですね。


あの手のオジサン達(申し訳ないがオバサンは今のところ目にしていないので男ばっかり悪者にするのは如何なものかという苦情は受け付けない)がこの話をする時って「何も問題ない健康な者が自粛を強いられ活動を制限される」前提なんですが、「熱が出て検査したら陰性だったので、熱も引き安心して外に出たら翌日再び発熱して今度は陽性」みたいな残念事例を少なからず目にする医療側としては「その中の一定割合が濃厚接触者から陽性になり、活動制限していなかった場合ウイルスを撒いて回ってしまう」というのが、発症前から感染力がある、このウイルスのめんどくさいところです。


重症化しなければいいとかそういう話ではなく、感染者数そのものを減らさないと、感染者の多くは何らかの症状が出て少なくとも数日は日常生活に支障をきたすので、日常の経済活動を回してくれる人が少なくなります。


(仮に別の世界線があって「症状があっても出歩いて構わない」ということになったとしても、熱でしんどいのに嬉々として遊びに行く人そんなにいないと思うのですよ)


これまた政治家や経済界のエライヒトがよく「○○(という属性)の人に△△してもらえば、□□の基準を変えれば、解決するのではないか」という、安全な場所から極めて他人事みたいな物言いで解決策?を提言したりしますが、○○という属性の人も家に帰れば家庭の一構成員であり、あなたが「経済を回してもらおう」と考えている社会の一員なのです。


○○という属性の人だけが頑張れば、他の人は何の気兼ねも配慮も要らず面白おかしく暮らせる、というわけにはいかないのですよ。
我慢や配慮を一切したくない人達が、何とかして面倒なことから逃げ切るためにどこか特定のところに負担をかけたり判断基準を甘くしたりして元のイケイケドンドンな日常を再び!と思っているんだろうなあ…


こちらとしても、何でも念のためで大袈裟に対応して日常生活の自由度が下がるようなことは望んではいませんが、統計や科学的根拠をねじ曲げてまで「ラクに楽しく」を優先させるのは何卒厳にお控えいただきたく。


・・・そのうち「無症状・軽症なら陽性でも働いたり活動して良い職種・業態を検討する」とか言い出しても驚かないぞ。